バベルで講師を務めていた時代から、教室で授業を受けてくださった生徒さん、あるいは仕事を通じて翻訳のアドバイスをした方のうち、高野が直接、デビューのお手伝いをした方に、授業の思い出を伺いました。主な訳書とともにご紹介します。
遠藤ゆかりさん
『神はなぜ生まれたか』、『一神教の誕生』、『古代インドの神』、『中国と日本の神』。以上、オドン・ヴァレ著、創元社「神の再発見」双書。
『ナポレオンの生涯』ティエリー・レンツ。 『聖母マリア』シルヴィ・バルネイ。『王妃マリー・アントワネット』エヴリーヌ・ルヴェ。『奇跡の少女ジャンヌ・ダルク』レジーヌ・ペルヌー。『ガウディ』フィリップ・ティエボー。『ルーヴル美術館の歴史』ジュヌヴィエーヴ・ブレスク。『ヴェルサイユ宮殿の歴史』クレール・コンスタン。『ダリ』ジャン=ルイ・ガイユマン。以上、創元社「知の再発見」双書。
『私のからだは世界一すばらしい』アンドレ・ジオルダン(東京書籍)など。
私が先生のご指導を受けたのは10年以上前のことになりますが、いまでも強烈に心に刻まれていることは、翻訳で一番大事なことは「原文の魂をすくう」ことだという先生のお言葉です。教室に通っていたころ、私は原文の表層部分にばかり目がいって、それを一見なめらかな日本語に訳して満足していたのですが、そういう小手先の技術をいくら覚えたところで良い翻訳にはならない、と先生に指摘されたのでした。いまでも、自分の訳文がどうもしっくりこないと思うときは、「原文の魂をすくいきっていない」ことが多いのです。
またこのことと関係があるのですが、原文を一字一句日本語に置きかえるのが翻訳ではなく、原文の思想を日本語に移しかえるのが翻訳なのだから、意訳だと人から指摘されたとしても、どうして自分がそういう訳文をつくったのかをきちんと説明できれば問題はないのだから、なにも恐れることはないというお言葉も、教室時代からいままでずっと、私を力づけてきました。
そして、これは翻訳術とは関係のないことですが、あるとき先生が授業中に、翻訳を仕事にしたいのなら、いつかある時点で、自分のなかでそう決意しなければならない、という趣旨のことをおっしゃいました。当時私は公務員として働いていたので、もしリーディングなどの仕事をさせていただけるような機会が訪れたとしても引き受けることはできなかったので、数ヵ月間考えたのちに退職しました。その時点で翻訳の仕事がいただける可能性があったわけでもなく、その後数年間はアルバイトをしながら勉強にはげみましたが、先生のお言葉がなければ、本気で翻訳家をめざそうとは思わなかったし、いまの私もなかったと思います。
小高美保さん
『赤い航路』パスカル・ブルックナー(共訳 扶桑社)。
『戯曲アルセーヌ・ルパン』モーリス・ルブラン、フランシス・ド・クロワッセ(論創社)など。
先生の授業で、今でも覚えているのは、
- 翻訳には特別な才能はいらない。時間をかけてきちんと原文と向き合えば、いい翻訳ができるはず。
- チャンスは一度ではない。たとえ逃してしまっても、また巡ってくる。(・・・おかげで、希望を捨てないでやってこられました)
- 読者にわかりやすい訳文作り・・・一度読めば、頭にすーっと入ってくるような文章を心がける。
といったことです。
藤丘樹実さん
『タンデム』パトリス・ルコント(共訳 扶桑社)
『旧約聖書の世界」ミレーユ・アダス・ルベル。『シュリーマン・黄金発掘の夢』エルヴェ・デュシエーヌ(共訳)。『ダーウィン--進化の海を旅する』パトリック・トール(共訳)。『日本の歴史』ネリ・ドゥレ(共訳)。以上、創元社「知の再発見」双書および「神の再発見」双書。
『列車に乗った男』クロード・クロッツ(アーティストハウスパブリッシャーズ)
バベルの翻訳教室を受講する決意をしたのは、年をとってもできる仕事を、という考えと、学生時代せっかく4年間も勉強したフランス語をこのまま朽ち果てさせるのはもったいないという思いからである。とりあえずオリエンテーションに申し込み、これが高野先生との最初の出会いとなった。このときの内容は覚えていないが、気さくなお人柄と熱心なお話に、いっぺんで「この先生のご指導を受けたい」という熱意がこちらにも生まれた。
最初の授業に向けて、私は張り切って与えられた文章の訳文を作っていった(テキストはシムノンの「Le Petit Restaurant de Ternes」である)。この予習が間違いであったことを第1回授業で私は教えられた。まずはテキストを最初から最後まで読むこと、そして全文を通して作者の意図を汲み取ること、作者の言いたいことを読者に伝えるのが翻訳者の役目であり、そのためにはどういう訳文を作ったらいいかという軸を決めることが必要だったのだ。「日本語というのは非常に印象が強く残るので、最初から日本語にしないほうがいい」というようなこともおっしゃっていたと思う。全部を読みもせず、出だしからいきなり順を追って訳し始めた私は、仏文和訳の授業に出る学生気分に過ぎなかったということである。
しかし、フランス語の小説なんて、そうそう簡単に読み通せるものではない。辞書を引き引き何日もかかって読むうちに、最初のほうは忘れてしまいそうである。生意気にも私は先生にそう申し上げた。すると先生は、だいたいの内容をページの片隅にでもメモしておくとよい、とアドバイスしてくださった。
先生に教えていただいたことはたくさんあり、そのどれもが今も私の仕事において座右の銘になっているが、何と言っても、このとき翻訳のもっとも重要な基本を学んだことが最高の幸せであったと、先生には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいである。
後藤淳一さん
『ヨーロッパ未来の選択』、『ジャック・アタリの核という幻想』。以上、ジャック・アタリ著。原書房。
『レオナルド・ダヴィンチ』アレッサンドロ・ベッツォシ。『ローマ教皇』フランチェスコ・シオヴァロ、ジェラール・ベシエール。『チベット』フランソワーズ・ポマレ。『錬金術』アンドレーア・アロマティコ。『ノストラダムス』エルヴェ・ドレヴィヨン、ピエール・ラグランジュ、など。以上、創元社「知の再発見」双書
『自分らしさとわがままの境で』アンヌ・ガリグ(草思社)など。
現在は、翻訳の世界から遠く離れてしまい、福祉の世界で必死に仕事をしております。
授業ではどんなに拙い訳文を持ってこようと、どれほどひねくれた質問をしようと、いつも笑顔で優しく丁寧に教えてくださる高野先生に感謝しています。
授業がいつも定められた時間をオーバーして続くので、はじめは驚きましたが、「翻訳は能力よりも粘りだ」という先生の教えが、授業から伝わってきました。
橘 明美さん
『仕事でハッピーになる魔法の言葉』、『子どもとハッピーになれる魔法の言葉』。以上、ドミニック・グロシュー。『人生を変える3分間の物語』ミシェル・ピクマル。以上、PHP研究所。
『アモス・ダラゴン 第3巻神々の黄昏』、『アモス・ダラゴン 第9巻黄金の羊毛』。以上、ブリアン・ペロー著。竹書房。
『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール。『生贄の女 ムフタール』ムフタール・マーイー。以上、ソフトバンククマリエイティブ。
『ヨーロッパ未来の選択』、『ジャック・アタリの核という幻想』。以上、ジャック・アタリ著。原書房。
「高野先生の講座」を縮めると「高座」になるのですが、まさに寄席の「高座」にも通じる楽しいクラスでした。教えていただいたことは多岐にわたり、私の頭のなかには「高野語録」がたくさんつまっています。でも、なんといってもいちばん有難かったのは、先生の翻訳にかける情熱が伝わってくる授業だったということではないでしょうか。
訳文の検討を進めていくうちに何か大事な問題が出てくると、先生は「さて」と羽織を脱いでいよいよ噺に入られます(そういうイメージなのです)。そうすると、そこからはもう止まりません。それは私たちが納得できるまで説明してくださるからでもあり、どんどん問題が掘り下げられていったり広がっていったりするからでもあります。そして、その先生の情熱に引っぱられて、私たちも少しずつ粘り強く考えることができるようになりました。
こうして粘るクセがついたためか、その後なんとなく自分なりの考え方や判断基準もできてきたように思います。実際に仕事をしていると、これどうすりゃいいの? という問題がごそごそ出てくるのですが、それでもなんとか解決できるのはそのおかげだと思っております。
臼井美子さん
『フランスワイン格付け』M・ベタンヌ T・ドゥソーヴ(共訳、料理王国社)
『アモス・ダラゴン 第2巻ブラハの鍵』、『アモス・ダラゴン 第8巻ペガサスの国』。以上、ブリアン・ペロー著。竹書房。
高野先生には翻訳の初歩の初歩から教えていただいたので、日本語とフランス語の違い、技術的なことなど、すべてを先生から学んだのですが、翻訳に対する心構えを教えていただいたことを一番ありがたく思っています。
「翻訳というのは、ひとつひとつの文章をきれいな文章に訳すことではなく、作品を深く理解し、その作品のよさを最大限に読者に味わってもらうために、もっとも効果的なかたちで日本語にすることなのだ」と、毎回の授業を通して学びました。けれども自分がなにかを訳す段になると、ついつい目の前の文章をそのまま訳してしまいがちな私は、こうした先生の言葉を思い出したり、授業のノートをめくったりしてから訳し始めるようにしています。
2007年春季講座を聴講させていただいたのですが、ある時、単語自体は難しくはないのだけれど、文脈の中で辞書の訳語ではそのままでは訳しにくい単語が出てきたとき、先生はこうおっしゃいました。
「その単語を『どうやって訳そうか』ではなく、『どういう意味なのか』を考えます。そして『ああ、こういうことなのか』と理解したとたん、訳文は自然に浮かんで きます。そうすれば、類語辞典をひいたりして訳語を外に探そうとしたりする必要はないのです」
私はじ〜んとしました。授業は毎回、こんな興奮に満ちています。
中川潤一郎さん
『秘められた部分』ネジュマ(共訳、文藝春秋)
『倒錯の森 女精神科医ヴェラ』ヴィルジニ・ブラック(文春文庫)
バベル時代、通学講座は受講しておりませんが、BPL検定で適切なアドバイスと励ましをいただけたおかげで、挫折せずに勉強を続けられました。通信講座に匹敵する指導を受けられたと思っています。